1888年、青森県弘前市生まれ。
1912年、早稲田大学建築学科助手として佐藤功一に師事その後同大学の助教授・教授をつとめ
る。
1917年、古民家保存を目的とする「白茅会」に参加、柳田國男の調査に同行するなどして、民家、農村住宅などのフィールドワークを従事。後に都市風俗や服飾の調査などにまで調査の対象を広げ「考現学」を提唱する。
1923年、関東大震災後のバラックを美しくする仕事をする運動体「バラック装飾社」を結成、様々な建築表現を試みる。
戦後は、早稲田大学で長く教鞭を執り、日本生活学会会長、日本建築士会会長も務めた。
DATA
資料提供:
所蔵 早稲田大学
協力 放送大学
本映像は、放送大学が設立される10年前、昭和47年にUHF14チャンネルで実験的に放送された映像です。当時、文部省の委託ではじまったものでNHKの電波を利用していました。本学に長く保管されていたものを公開するものです。
参考:昭和47年2月10日朝日新聞朝刊
「人気呼ぶ放送大学実験番組」より
資料提供:
所蔵 早稲田大学
協力 放送大学
本映像は、放送大学が設立される10年前、昭和47年にUHF14チャンネルで実験的に放送された映像です。当時、文部省の委託ではじまったものでNHKの電波を利用していました。本学に長く保管されていたものを公開するものです。
参考:昭和47年2月10日朝日新聞朝刊
「人気呼ぶ放送大学実験番組」より