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二階盛

二階盛

Sei Nikai

1911-2005

つぶやく

日本が戦後の疲弊から立ち直り、東京オリンピックが開催され、新幹線が時速200kmで東京─大阪を走るようになった時代でした。地震国日本では従来法律で禁止されていた高層建築ですが、学者や専門家の研究によって耐震構造理論ができ、いよいよ日本のビルも高層化できるという機運がでて、建築界としても大きな変革時代を迎えたわけです。……

1911年─2005年
早稲田大学理工学部建築学科卒業。戦前は警視庁に勤務し、復員後鹿島建設に入社。昭和36年、建築技術を学ぶためにニューヨークのビルを見学。新しい耐震理論の登場などを背景とした「霞が関ビル」プロジェクトが始まるとそのリーダーとなり、「初めての試みには、新たな発想が必要」として、プロジェクトには35歳以下の技術者を中心に据えた。これは後に「二階学校」と称された。勲三等旭日中綬章。元鹿島建設副社長。

DATA
資料提供:映画『超高層のあけぼの』(製作:「日本技術映画社」[現・カジマビジョン]、鹿島建設)

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