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内藤多仲

内藤多仲

Tachu Naito

1886-1970

つぶやく

地震の少ないアメリカ留学経験から得た耐震構造理論とは。
倒壊家屋26万戸という惨事をもたらした 関東大震災(1923年)で、歌舞伎座、日本興業銀行はなぜ無事だったのか。……

1886年6月12日─1970年8月25日
「耐震構造の父」「塔博士」と評される。1886年山梨県に生まれる。1910年に帝国大学を卒業、1913年に早稲田大学教授就任。アメリカへの留学により、耐震壁による独自の耐震構造理論を発明。この理論をもとにした『架構建築耐震構造論』により1924年博士号取得。《歌舞伎座》(1923)、《早稲田大学大隈記念講堂》(1926)、《大丸百貨店心斎橋店》(1936)、《東京タワー》(1958)、《早稲田大学文学部校舎》(1962)など構造設計を担当した物件は多数。日本文化功労者顕彰受章、勲二等旭日重光章受賞。日本建築学会会長、日本溶接学会会長、早稲田大学理工学部長を歴任。

DATA
資料提供:アーカイブス資料提供について:『耐震構造の父 内藤多忠』は、同製作委員会によって製作されたドキュメントです。当「早稲田建築アーカイブス」への掲載に当たっては、上記委員会の許諾を得ております。製作を担当した日本総合通信社の現在の所在が不明です。掲載のご連絡を差し上げたく存じますので、同社にお心当たりのある方は、稲門建築界までご一報いただければ幸いです。

アーカイブス資料

関連リンク

タワー -内藤多仲と三塔物語- 展 Birth of Towers